御報告
2009年4月より現4回生を中心に活動を行ってきましたが、引退を迎え、
2010年10月より、現3回生を中心とする団体に生まれ変わります。
今まで行ってきた企画はもちろん新しい企画など、幅広く活動をしていきますので、
これからもdesignforumをよろしくお願い致します。
現4回生
中辻、若松、中園、五味、山口、平群、北島、吉田
2010年10月より、現3回生を中心とする団体に生まれ変わります。
今まで行ってきた企画はもちろん新しい企画など、幅広く活動をしていきますので、
これからもdesignforumをよろしくお願い致します。
現4回生
中辻、若松、中園、五味、山口、平群、北島、吉田
「編集する風景」
10月7日に行われた建築家の方にお越しいただいて、レクチャー後討論会をする企画の第6回目、
今回のゲストは若手建築家、藤田雄介さん。
藤田さんはU-30という大阪で催されていた展覧会にも出展されており、その合間を縫って来てくださりました。(U-30→ http://www.aaf.khaa.jp/u30/#)

テーマは「編集する建築」
今回はtwitterで中継させていただきました。はじめてのことだったので至らない点もありましたが臨場感を味わっていただけたら幸いです。(笑) ハッシュタグ→ #dxfFJI
ということで以下テーマについてです。
与えられた敷地やコンテクスト、要望を肯定的に捉えて、それを「編集」するように設計してます。そのときデザイン関数として「CAMP」という言葉を用いてます。CAMPには、屋外で寝食を楽しむ意味以外に、スーザン・ソンタグが定義したCAMP=「高尚でないものに美しさや良さを見出だす」。(CAMPについてはスーザン・ソンタグの「キャンプについてのノート」を読んでいただくと詳しく説明されています。)日本語でいうと数奇に近い意味を持っています。二つの意味をもつこの単語は、僕自身の設計のベースにある意味を内包していて、それを設計=編集する際の方向性に掲げています。(当日レクチャー内容抜粋)
「編集」という設計手法。僕ら学生にとっての「編集」とは、普段の演習課題でいえば「与えられた敷地やその周辺環境、コンテクストを読み込んで、また課題趣旨をとりいれ、個々のコンセプトを練り込んで設計していく」ようなもので、みなさんに共通する、共感できるものだと思います。ただ僕らの場合は敷地や周辺環境を否定的にとらえることができる。藤田さんは肯定的にとらえて「編集」していくという姿勢で、様々な社会問題がうたわれる現代ではそのスタンスは簡単にはできないと感じるところがありました。
藤田さんは「設計」をリノベーションというかたちで既存のものを「敷地」として「編集」されているとのことでした。既存の躯体・フレームが敷地線であると。
レクチャーでは実施プロジェクトを3つ紹介していただきました。臨場感を味わってもらうためTwitterでのつぶやきをのせておきます。(笑)くわしくは藤田さんの事務所YUSUKE FUJITA CAMP DESIGN INC.のHPをみていただけたらよろしいかとおもいます。
1.翠ヶ丘の住宅
twitter[@eiton0806]より:
作品の紹介。
藤田:神戸の芦屋。都市空間と自然空間の入り交じるちょうどよい敷地。セカンドハウス。コンセプトとして「街の中の別荘」。
藤田:既存のく体を敷地として設計する。新築の場合の敷地境界線のような。雁行したワンルームを挿入する。
藤田:雁行したワンルーム→既存のプランがコンテクストとなる。
ルームテラスとワンルームがつながる。きれいなプレゼン。
藤田:お風呂場、室内空間にもう一つの小屋が存在する。
藤田:フローリングとデッキ材はウリンで同じ材でつくった。
ワンルームは雁行しているが壁がアール。
藤田:壁がアールなのは、光のグラデーションが必要なのと部屋と廊下の連続が必要だった。壁は木目があるが布っぽいシナ合板を使用。
藤田:ここでのcampのひとつとして、指先から空間の印象を変える。ドアノブを刺繍を使用。
藤田:一つのコンセプトに定めない。一つの次元で終わらない豊かさというものがあるのではないか。ディティールのところまで詰め込む。
2.珈琲店 I/COFFE-TEN I
twitter[@eiton0806]より:
藤田:次は東京吉祥寺での作品。
藤田:立派な材のカウンターと厨房はそのままで。バーのような茶室のようなお店。
藤田:外壁は窓をつくらず、壁は真っ白。内部は壁が白い路地のような空間。舞台のような客席。
藤田:路地の中への移設、ブリコラージュがコンセプト。
藤田:ほそながーいトイレ。奥の鏡が無限の路地を演出。
藤田:ディティールなどにも、あるもの与えられた条件を関数として新しいものに作り替えていく姿勢を。
3.ギャラリーファサードデザイン「糸格子」
twitter[@eiton0806]より:
藤田:3つめ。東京のヤナカ。糸で格子をつくる。ガラス窓に目隠しとなるようなものを。
藤田:ガラス戸にとりつける。既存戸の木枠に合わせて木枠をつくり、糸を格子状に編んでゆく。
藤田:異質なものを挿入するのではなく、やわらかいものを挿入できたのではないか。
藤田:リノベーションだが先をみすえて考えてゆきたい。
そしてU-30でも展示されていた作品「露れる都市 都市のしずく」も紹介していただきました。過去藤田さんが行われたプロジェクトの手法を架空の都市空間で展開していったものでした。
以下twitter[@eiton0806]より:
藤田:都市の見方、感じ方を自分なりに編集する。今を否定しない。
藤田:マスタープランの無い都市計画。おのおのが自己形成していゆく。
藤田:ひとつの建物から周辺の建物へ派生してゆく。それが町並みへ影響していく。
藤田:公園を取り込んだ住宅。都市へ派生していくとプライベートだが公園のような空間が町並みとなっていく。
レクチャーは以上で休憩をはさんで討論会にうつりました。参加者には question cardなるものをかいていただきそれを種に討論していきました。

以下twitter[@eiton0806]より:
第二部、討論会開始だん。
藤田さんへの質問を中心に話。
質問:二つ目の作品、喫茶店のトイレの使い心地は?
質問:campという感覚→かっこいいとか肩肘張らずに普段着の感覚。それを素材にもいかす。むしろかっこいいものはつくりたくない。
藤田:campっていうのは数寄に近い。
ゴージャスなcampもありえるか?→藤田:ありうる。ただ高いものではなく高いなら高いなりのよさはある。
藤田:白壁へのよごれは上からぬれる。手軽に。
藤田:白の扱いについて。余白としての白。
チープとゴージャスの話。どちらが重い、軽い。うすい、あつい。とは言い切れない。
campを建築においてねらってやるのはそれはcampなのか。
藤田:自分の特性をわかりやすく提示したい。
campの語源。擬似的なもの。本質とはちょっとずれたもの。
マスタープランの無い都市計画。一人でつくるよりも大勢でつくるほうがcampが可能、編集が可能なのではないか。
室内にいるときにどうすれば外を感じることができるのか。
藤田:ルームテラスでは一度境界が生まれていて、境界をこえることで人の気持ちがすこしだけいれかわる。
藤田:視覚じゃなくて、触覚、聴覚なども含めて空間を感じてもらいたい。
脳への情報源は約80%が視覚、残りが嗅覚や聴覚など。視覚に頼ることがおおきい。
コーヒー店の外とのつながりはどう意識したか。→藤田:直接的な屋外館は無いが内部に路地空間を挿入することで都市を感じられるのではないか。(窓は施主からすべてつぶすという要望があった)
素材について。
藤田さんは「てかり」には不信感があるよう。
藤田:求められている空間へ編集してあげることが設計である。
今の文化。立ち位置による見え方。模倣というのはデザインの世界では問題視される。しかしそこから生まれる価値観があるのでは。

藤田:オリジナルなデザインができるときより、無効になって人々にひろまりしたわれるほうに価値があると思う。
藤田:B級グルメのようなものとは違う。だれにもきらわれないもの。
宮﨑あおい的なものではww by tom男くん
campに通ずるものはチャップリンや三谷こうきにはある。
藤田:campは余条件とともにコンセプトを導きだすためのもの
藤田:campは所詮設計関数である。campにとらわれる必要はなく、すこしずつ変化していってもいいものであるのではないか。
「編集」における相性について。
藤田:二つのものが存在していることが大事なとこで、一つにまとめあげない。ポストモダン的。ヴェンチューリの多様性と対立性。

藤田:直接関係ない複数のことでも求められる空間にはつながっていって、相乗効果も期待できるし、なくてもいい。
むさびの図書館。本の並びと空間構成について。
藤田: コミュニケーションにコンセプトは必要となってくる。とくに編集においては。
建築はコンセプトなしでつくれるのか。
camp。コンセプトというよりはマニフェストでは。
共通言語としてcampはなりたたない。
campから別の話題へ。
とまぁ僕の力不足で中継は穴だらけです。(笑)
討論の中で
藤田さんがされている「編集」というのは「ブリコラージュ」という言葉がしっくりくる。
という意見が出ました。
“ブリコラージュとは、フランスの思想家レヴィ=ストロースの造語で、日本では「器用仕事」と訳されている。これは、身の回りにある手持ちの道具や材料を使って、新しい何かを創り上げていくことだ。つまり、あり合わせのものによって必要なものを創り出していく、創意工夫とそのプロセスのことである。”(ブリコラージュの伝言:南泰裕著より)
まったくしっくりくる。このモノで溢れている日本の社会において非常に有用であるといえる。もちろんコスト面は大いに関わってくるだろうし、なによりコンテクストを読み込む上で既存のモノ、つまりその場の空間や雰囲気、もしくは記憶や思い出などが反映され、新しい魅力を発揮する。今までリノベーションやリフォームは正直眼中には無かった。が、今回話を聞かせていただいて何を対象としてどう変えていくのかということを改めて考えさせられました。討論会の「象徴について。記号について。」の回でも出ていましたが、これからの建築業界において新築というのはどう扱っていくべきかを考える必要があります。
少子高齢化もふくめ人口減少がうたわれる中で未だ新たに開発されている地域があり、建て売り住宅がきれいに並んでどんどん建てられていくのをよく目にします。また、建築雑誌をみていても最近では住宅ばかりを目にします。(これは気のせいかもしれませんが。)建築にとって「創る」ことは新しいものを生み出すのはもちろんそうですが、市場に参入することでもあります。よく「衣・食・住に関わる仕事はなくならない」といいます。しかし、飽和状態であろう現代社会に後先考えず、無闇やたらに、自らの利益のために、建物を次から次へと建ててしまうのは何か違うような気がします。
最後に藤田さんの設計と言う「編集」における設計関数についてまとめてみました。
編集:
①式 余条件×設計関数=コンセプト
②式 (藤田さんにとっての)設計関数=CAMP
設計関数というのは人それぞれだと藤田さんはおっしゃっていました。「それが僕の場合だとCAMP」であると。自分が設計という手法で社会と関わっていく中でその手法がなんなのかをつきつめてみてもいいのではないでしょうか。
さて、皆さんにとっての設計関数はなんでしょうか?
最後になりましたがレクチャーにきてくださった藤田雄介さん、そして参加してくださったみなさんありがとうございました。討論会後の懇親会でもそれぞれ引き続き熱く語り合えたかと思います。
これを機会にブログやtwitter上(ハッシュタグ→ #dxf)で議論が交わされることを期待しております。
そして、長文になりましたが読んでくださった皆さんありがとうございました。
北島 瑛登
今回のゲストは若手建築家、藤田雄介さん。
藤田さんはU-30という大阪で催されていた展覧会にも出展されており、その合間を縫って来てくださりました。(U-30→ http://www.aaf.khaa.jp/u30/#)

テーマは「編集する建築」
今回はtwitterで中継させていただきました。はじめてのことだったので至らない点もありましたが臨場感を味わっていただけたら幸いです。(笑) ハッシュタグ→ #dxfFJI
ということで以下テーマについてです。
与えられた敷地やコンテクスト、要望を肯定的に捉えて、それを「編集」するように設計してます。そのときデザイン関数として「CAMP」という言葉を用いてます。CAMPには、屋外で寝食を楽しむ意味以外に、スーザン・ソンタグが定義したCAMP=「高尚でないものに美しさや良さを見出だす」。(CAMPについてはスーザン・ソンタグの「キャンプについてのノート」を読んでいただくと詳しく説明されています。)日本語でいうと数奇に近い意味を持っています。二つの意味をもつこの単語は、僕自身の設計のベースにある意味を内包していて、それを設計=編集する際の方向性に掲げています。(当日レクチャー内容抜粋)
「編集」という設計手法。僕ら学生にとっての「編集」とは、普段の演習課題でいえば「与えられた敷地やその周辺環境、コンテクストを読み込んで、また課題趣旨をとりいれ、個々のコンセプトを練り込んで設計していく」ようなもので、みなさんに共通する、共感できるものだと思います。ただ僕らの場合は敷地や周辺環境を否定的にとらえることができる。藤田さんは肯定的にとらえて「編集」していくという姿勢で、様々な社会問題がうたわれる現代ではそのスタンスは簡単にはできないと感じるところがありました。
藤田さんは「設計」をリノベーションというかたちで既存のものを「敷地」として「編集」されているとのことでした。既存の躯体・フレームが敷地線であると。
レクチャーでは実施プロジェクトを3つ紹介していただきました。臨場感を味わってもらうためTwitterでのつぶやきをのせておきます。(笑)くわしくは藤田さんの事務所YUSUKE FUJITA CAMP DESIGN INC.のHPをみていただけたらよろしいかとおもいます。
1.翠ヶ丘の住宅
twitter[@eiton0806]より:
作品の紹介。
藤田:神戸の芦屋。都市空間と自然空間の入り交じるちょうどよい敷地。セカンドハウス。コンセプトとして「街の中の別荘」。
藤田:既存のく体を敷地として設計する。新築の場合の敷地境界線のような。雁行したワンルームを挿入する。
藤田:雁行したワンルーム→既存のプランがコンテクストとなる。
ルームテラスとワンルームがつながる。きれいなプレゼン。
藤田:お風呂場、室内空間にもう一つの小屋が存在する。
藤田:フローリングとデッキ材はウリンで同じ材でつくった。
ワンルームは雁行しているが壁がアール。
藤田:壁がアールなのは、光のグラデーションが必要なのと部屋と廊下の連続が必要だった。壁は木目があるが布っぽいシナ合板を使用。
藤田:ここでのcampのひとつとして、指先から空間の印象を変える。ドアノブを刺繍を使用。
藤田:一つのコンセプトに定めない。一つの次元で終わらない豊かさというものがあるのではないか。ディティールのところまで詰め込む。
2.珈琲店 I/COFFE-TEN I
twitter[@eiton0806]より:
藤田:次は東京吉祥寺での作品。
藤田:立派な材のカウンターと厨房はそのままで。バーのような茶室のようなお店。
藤田:外壁は窓をつくらず、壁は真っ白。内部は壁が白い路地のような空間。舞台のような客席。
藤田:路地の中への移設、ブリコラージュがコンセプト。
藤田:ほそながーいトイレ。奥の鏡が無限の路地を演出。
藤田:ディティールなどにも、あるもの与えられた条件を関数として新しいものに作り替えていく姿勢を。
3.ギャラリーファサードデザイン「糸格子」
twitter[@eiton0806]より:
藤田:3つめ。東京のヤナカ。糸で格子をつくる。ガラス窓に目隠しとなるようなものを。
藤田:ガラス戸にとりつける。既存戸の木枠に合わせて木枠をつくり、糸を格子状に編んでゆく。
藤田:異質なものを挿入するのではなく、やわらかいものを挿入できたのではないか。
藤田:リノベーションだが先をみすえて考えてゆきたい。
そしてU-30でも展示されていた作品「露れる都市 都市のしずく」も紹介していただきました。過去藤田さんが行われたプロジェクトの手法を架空の都市空間で展開していったものでした。
以下twitter[@eiton0806]より:
藤田:都市の見方、感じ方を自分なりに編集する。今を否定しない。
藤田:マスタープランの無い都市計画。おのおのが自己形成していゆく。
藤田:ひとつの建物から周辺の建物へ派生してゆく。それが町並みへ影響していく。
藤田:公園を取り込んだ住宅。都市へ派生していくとプライベートだが公園のような空間が町並みとなっていく。
レクチャーは以上で休憩をはさんで討論会にうつりました。参加者には question cardなるものをかいていただきそれを種に討論していきました。

以下twitter[@eiton0806]より:
第二部、討論会開始だん。
藤田さんへの質問を中心に話。
質問:二つ目の作品、喫茶店のトイレの使い心地は?
質問:campという感覚→かっこいいとか肩肘張らずに普段着の感覚。それを素材にもいかす。むしろかっこいいものはつくりたくない。
藤田:campっていうのは数寄に近い。
ゴージャスなcampもありえるか?→藤田:ありうる。ただ高いものではなく高いなら高いなりのよさはある。
藤田:白壁へのよごれは上からぬれる。手軽に。
藤田:白の扱いについて。余白としての白。
チープとゴージャスの話。どちらが重い、軽い。うすい、あつい。とは言い切れない。
campを建築においてねらってやるのはそれはcampなのか。
藤田:自分の特性をわかりやすく提示したい。
campの語源。擬似的なもの。本質とはちょっとずれたもの。
マスタープランの無い都市計画。一人でつくるよりも大勢でつくるほうがcampが可能、編集が可能なのではないか。
室内にいるときにどうすれば外を感じることができるのか。
藤田:ルームテラスでは一度境界が生まれていて、境界をこえることで人の気持ちがすこしだけいれかわる。
藤田:視覚じゃなくて、触覚、聴覚なども含めて空間を感じてもらいたい。
脳への情報源は約80%が視覚、残りが嗅覚や聴覚など。視覚に頼ることがおおきい。
コーヒー店の外とのつながりはどう意識したか。→藤田:直接的な屋外館は無いが内部に路地空間を挿入することで都市を感じられるのではないか。(窓は施主からすべてつぶすという要望があった)
素材について。
藤田さんは「てかり」には不信感があるよう。
藤田:求められている空間へ編集してあげることが設計である。
今の文化。立ち位置による見え方。模倣というのはデザインの世界では問題視される。しかしそこから生まれる価値観があるのでは。

藤田:オリジナルなデザインができるときより、無効になって人々にひろまりしたわれるほうに価値があると思う。
藤田:B級グルメのようなものとは違う。だれにもきらわれないもの。
宮﨑あおい的なものではww by tom男くん
campに通ずるものはチャップリンや三谷こうきにはある。
藤田:campは余条件とともにコンセプトを導きだすためのもの
藤田:campは所詮設計関数である。campにとらわれる必要はなく、すこしずつ変化していってもいいものであるのではないか。
「編集」における相性について。
藤田:二つのものが存在していることが大事なとこで、一つにまとめあげない。ポストモダン的。ヴェンチューリの多様性と対立性。

藤田:直接関係ない複数のことでも求められる空間にはつながっていって、相乗効果も期待できるし、なくてもいい。
むさびの図書館。本の並びと空間構成について。
藤田: コミュニケーションにコンセプトは必要となってくる。とくに編集においては。
建築はコンセプトなしでつくれるのか。
camp。コンセプトというよりはマニフェストでは。
共通言語としてcampはなりたたない。
campから別の話題へ。
とまぁ僕の力不足で中継は穴だらけです。(笑)
討論の中で
藤田さんがされている「編集」というのは「ブリコラージュ」という言葉がしっくりくる。
という意見が出ました。
“ブリコラージュとは、フランスの思想家レヴィ=ストロースの造語で、日本では「器用仕事」と訳されている。これは、身の回りにある手持ちの道具や材料を使って、新しい何かを創り上げていくことだ。つまり、あり合わせのものによって必要なものを創り出していく、創意工夫とそのプロセスのことである。”(ブリコラージュの伝言:南泰裕著より)
まったくしっくりくる。このモノで溢れている日本の社会において非常に有用であるといえる。もちろんコスト面は大いに関わってくるだろうし、なによりコンテクストを読み込む上で既存のモノ、つまりその場の空間や雰囲気、もしくは記憶や思い出などが反映され、新しい魅力を発揮する。今までリノベーションやリフォームは正直眼中には無かった。が、今回話を聞かせていただいて何を対象としてどう変えていくのかということを改めて考えさせられました。討論会の「象徴について。記号について。」の回でも出ていましたが、これからの建築業界において新築というのはどう扱っていくべきかを考える必要があります。
少子高齢化もふくめ人口減少がうたわれる中で未だ新たに開発されている地域があり、建て売り住宅がきれいに並んでどんどん建てられていくのをよく目にします。また、建築雑誌をみていても最近では住宅ばかりを目にします。(これは気のせいかもしれませんが。)建築にとって「創る」ことは新しいものを生み出すのはもちろんそうですが、市場に参入することでもあります。よく「衣・食・住に関わる仕事はなくならない」といいます。しかし、飽和状態であろう現代社会に後先考えず、無闇やたらに、自らの利益のために、建物を次から次へと建ててしまうのは何か違うような気がします。
最後に藤田さんの設計と言う「編集」における設計関数についてまとめてみました。
編集:
①式 余条件×設計関数=コンセプト
②式 (藤田さんにとっての)設計関数=CAMP
設計関数というのは人それぞれだと藤田さんはおっしゃっていました。「それが僕の場合だとCAMP」であると。自分が設計という手法で社会と関わっていく中でその手法がなんなのかをつきつめてみてもいいのではないでしょうか。
さて、皆さんにとっての設計関数はなんでしょうか?
最後になりましたがレクチャーにきてくださった藤田雄介さん、そして参加してくださったみなさんありがとうございました。討論会後の懇親会でもそれぞれ引き続き熱く語り合えたかと思います。
これを機会にブログやtwitter上(ハッシュタグ→ #dxf)で議論が交わされることを期待しております。
そして、長文になりましたが読んでくださった皆さんありがとうございました。
北島 瑛登
編集する風景
イベントの告知です!
建築家の方にお越しいただき、レクチャー後討論会をする企画の第6回目、
ゲストは若手建築家、藤田雄介さんです。
藤田さんはU-30という今大阪で催されている展覧会にも出展されており、その合間を縫って来てくださります。(U-30→ http://www.aaf.khaa.jp/u30/#)
私たち学生に比較的近い世代、同世代と言っても良いかもしれない方との討論会、少しでも興味があれば、お誘い合わせの上、是非お越し下さいませ!
以下詳細です。
日時:10月7日(木)18:30〜21:30(18時開場予定)
テーマ:「編集する建築」
与えられた敷地やコンテクスト、要望を肯定的に捉えて、それを「編集」するように設計してます。そのときデザイン関数として「CAMP」という言葉を用いてます。CAMPには、屋外で寝食を楽しむ意味以外に、スーザン・ソンダグが定義したCAMP=「高尚でないものに美しさや良さを見出だす」。日本語でいうと数奇に近い意味を持っています。二つの意味をもつこの単語は、僕自身の設計のベースにある意味を内包していて、それを設計=編集する際の方向性に掲げています。(当日レクチャー予定内容抜粋)
参加費:無料
場所:立命館大学びわこくさつキャンパス
ウエストウイング1F製図室(急遽学内の別会場に変更の可能性有)
懇親会:南草津駅前白木屋(22時より)
アクセス: http://www.ritsumei.jp/accessmap/accessmap_bkc_j.html
建築家の方にお越しいただき、レクチャー後討論会をする企画の第6回目、
ゲストは若手建築家、藤田雄介さんです。
藤田さんはU-30という今大阪で催されている展覧会にも出展されており、その合間を縫って来てくださります。(U-30→ http://www.aaf.khaa.jp/u30/#)
私たち学生に比較的近い世代、同世代と言っても良いかもしれない方との討論会、少しでも興味があれば、お誘い合わせの上、是非お越し下さいませ!
以下詳細です。
日時:10月7日(木)18:30〜21:30(18時開場予定)
テーマ:「編集する建築」
与えられた敷地やコンテクスト、要望を肯定的に捉えて、それを「編集」するように設計してます。そのときデザイン関数として「CAMP」という言葉を用いてます。CAMPには、屋外で寝食を楽しむ意味以外に、スーザン・ソンダグが定義したCAMP=「高尚でないものに美しさや良さを見出だす」。日本語でいうと数奇に近い意味を持っています。二つの意味をもつこの単語は、僕自身の設計のベースにある意味を内包していて、それを設計=編集する際の方向性に掲げています。(当日レクチャー予定内容抜粋)
参加費:無料
場所:立命館大学びわこくさつキャンパス
ウエストウイング1F製図室(急遽学内の別会場に変更の可能性有)
懇親会:南草津駅前白木屋(22時より)
アクセス: http://www.ritsumei.jp/accessmap/accessmap_bkc_j.html
「civic designから都市・建築を考える」+
6月28日に、第5回Design Forum講演会として、都市計画家の村橋正武氏を招き、「civic designから都市・建築を考える」をテーマとして、先生によるレクチャー及び討論会を行いました。
この企画は、建築だけ、都市だけ、土木だけ、といった各専門分野の枠に収まることなく、分野横断的に議論をする機会がもっとあってもいいという趣旨のもとに発案されおり、氏は、「土木計画学」という分野を基盤とし、国土形成計画、社会インフラの整備戦略計画、都市計画方法論などを専門とされている方で、講演会1時間+討論会1時間という、内容の濃い時間でした。
第1部:村橋正武氏によるレクチャー
「我が国における都市計画の現状と今後の展望」
前半の講演会では、村橋さんの都市計画論や携わってこられたプロジェクトの事例を中心に、スライドを流す形式で行われました。
○都市づくりの視点と取り組み方
ここではコンパクトシティ論の展開と、ストック重視の都市計画の重要性そして、民主介在の必要性についてお話されました。
都市の整備・運営は長期にわたる造営行為であり、簡単に最適解を導き出すことはできるものではないし、唯一解があるわけでもない。しかし、より良質な都市・都市景観を生成するうえで、「持続可能性」というキーワードを外すことはできず、“長期にわたって既存ストックを有効に活用しつつ、都市活動を継続的に営むこと”がこれから人口減少を迎える日本都市における計画学には必要である。
また、それに呼応するように国の政策に転換が訪れている。「都市再生ビジョン」や「まちづくり三法」がそれである。
○事例研究
「汐溜」は今の、今までの日本における都市開発の一種の典型的な側面を見せている。所謂、島型である。このサイトは新橋操車場跡地の再開発として、多様な階層の人間が出入りするような都市になるよう計画している。新宿西口の理想主義的な計画に対して国鉄民営化と景気浮揚のプロジェクトという都市再生的視点が現代の東京を象徴する再開発である。J.Nouvel「電通本社」や、R.Rogersの「日本テレビタワー」が立ち並ぶエリアである。
80年代は、場所から導き出されるコンテクストということに関して、建築家も都市計画家も盛んに議論をしていた。しかし、実態はそちらのほうへ行かず、むしろ環境の中から領域を囲いとって、そこを孤立的に、重点的に投資して開発していく。そういう島を作るというやり方が大きな潮流になっている。
この汐溜の例において結果論ではあるが、海外建築家の果たす役割が、表層をデザインするというところに限定されている。オフィスというのはもともと皮の建築であるが、建築家の役割はその皮をデザインするだけになってきている。
大梅田(大阪北ヤード)では上記のような反省点をふまえ、建築美観誘導基準(スカイラインの統一、道路境界線からのセットバック等の規定)を設けることで、道路空間構成の快適化、国際的な中枢業務機能、学術・研究機能、商業機能、情報発信機能、居住機能等の複合市街地を形成することを目指すものとする。
このように社会政策的側面から成長政策的側面の比重を大きくしていくことで、交通拠点機能(ハブ機能)を強化し、東京VS 3大都市圏の構造から、今日のような東京VSそれ以外の構造となった関西没落の対抗策つまりは、地方の復権を試みているのである。
また、都市計画とは「本来そこに住まう人たちによって自発的に行われるべきである」ということを聴衆に伝えるため、先生が実際に携われた例として草津近郊の都市である大津市駅周辺の開発を提示されました。
大津市は全国的人口減少時代において、さらに10年以上人口増加がみられる非常に希有な都市である。また、京都に程近く阪神間に次ぐ魅力的な居住都市イメージがあり、線上型都市形態・湖畔に位置するという立地の良さがある。これらから未来への要素を汲み取ってみると、京都とのタッグマッチによる一体的活動の展望、良質な景観環境都市の生成、建物の高さに対する眺望の堅持が必要であることが分かる。
故・丹下健三氏による滋賀プリンスホテルはフランス、パリにあるラディソンホテルのような景観的存在感を示していることが分かる。
○課題と今後の展望
戦後の各都市における市街化は公共交通沿線に沿い発展を続け、その後、モータリゼーションの進展とともに低密度の市街地として都市が拡張を続けてきた。しかし今後は、少子超高齢社会に対応したコンパクトな集約型都市構造を目指すことが必要である。1つの提案として、駅周辺の拠点的市街地をイメージすると今後の展望を比較的容易に具現化することが可能である。ここでもやはり駅を中心としている。それは人間が生活する上で必要となる経済的基盤が比較的容易に生成することができるからである。
一言にコンパクト化と言っても、そんなに容易なものではない。都市には人が存在し、都市縮小には既存環境方の変遷に伴う“不便さ”や“私権制限”という乗り越えなければならない自明な壁が存在するからである。
兆しは見え始めている。環境問題に反応して立ち上がった市民が自らの街づくりに、環境という分野に限定されない、より広い視野をもって登場し始めた。上級官庁のほうばかりを向いて仕事をしてきた市街村や県庁などの役所に任せておいたのでは良いまちにできない、そういう自覚を持つ市民が立ち上がり始めたのだ。その形は地区のコミュニティ活動や特定のテーマのものに集まるNGO、NPOと様々であるが、街づくりに関して市民が自分たちの意思を表明し始めたのである。
これらの市民、つまり市民一般ではなく、と根気強く付き合い、合意を作り上げていくことが今後の風景づくりの一つの鍵を握ることになるだろう。なぜなら風景とは皆の合意のもとにしか成立しないものだからである。風景づくりとは個人の作品ではない。共同の作品でしかあり得ないからだ。このようなレベルでの話し合いが今後ますます推進されていくべきである。
以下に皆に送る言葉を添えて締めとする。
「不易流行」:(芭蕉の俳諧用語)
笛木はその基本である永遠性。流行はその時々の新風の体。ともに風雅のまことから出るものであるから、根元においては一であるということ。
ハーシェル(英国天文学者)言葉:
I wish to leave this world better than I was born。
~私は、この世を私が生まれてきた時よりも、より良くして去りたい~
第2部:討論会
討論会では主として都市・建築の向かうべき展望とそれに伴う自分たちの取るべきスタンスについて議論が進んで行きました。
ある学生からこんな質問が出ました。先生のレクチャーの中からは「ヒト」の存在が見えてこなかった。政策やプランの作成・適用方法をこと細かく説明はされていたけれど、実際に人がどのように思い、動き、佇むのか。それが見えてこなかった。その点に関してはどう思いますか?
これは、建築と土木における教育体系に起因する大きな違いの1つだと思います。
土木には国土・都市という広範囲での計画、空港や電車等の公共交通機関のインフラ整備、ネットワーク管理という仕事をメインとし、その役割を一端に担ってきたという背景があります。上記のような広範囲敷地条件下での人の往来や空間を設計する時、人はマスとして扱うほうが都合がよく、むしろ個々人の行動やそれに伴い発生するエネルギーはそのような大きな視点から見たとき、取るに足らない微小要素でしかないのです。
このような考え方は、公共事業が不可解な特徴を有しているせいだと思います。ダムにしろ橋にしろ、民意により発生したモノの必要性になぜか民意は賛同をしていない。そこで、それらを打開する為のツールとして、圧倒的説得力を有し、平等な共通理解と解釈が可能な「数字」を武器にしているのだと思います。そうすることにより、仕事人達は、自分たちの仕事に絶対的意義を持たせることが可能になると考えているのです。しかし最近では、この武器も諸刃の刃と化していっている潮流もありますが…。
ただ、建築学科の学生からすればこの考え方(数値による説得)は、理解はできても納得はできないコトだと思います。
なぜなら標準的な建築の設計手法とは、その敷地に与えられている拘束条件を多方面から細分化することで、一般の人が気づかないような微小要素でさえも汲み取り、哲学的に分析、消化することで、初めて自らの考える建築に投影を成せるというものであり、それらの与条件の内、“このコンテクストは他の要素と比較すると微小要素過ぎるから、取るに足らないコトだと考えてよい”という教育は行われていないのです。
「建てれば人が来るかもしれない」ということがある意味真理の一面であることを理解しつつも、そこに数的根拠を与えることをあえてせず、万人の知覚感性の琴線に訴えかけるような言語表現を用いること、またそれらを用いた建築ロジックの組み立てをアプローチとした「人が来るような建物を作る」ことに関して妄信的に美学を感じているのかもしれません。建築創生論の多次元化や用途システムを保持する空間構成への着眼、プレゼンテーションに用いる建築言語の巧みさ具合等がそれらを暗に意味していると言えるかもしれません。
話は進んでいきます。
これまでの戦後、高度経済成長期における人口増加社会において土木・建築は絶大な力をふるってきたが、これからの人口減少社会においてこの建設分野はいかなる途をたどるのか?例えばインターネット等に見られるようなメディア・ネット社会とどのように共存共栄していくのか?との議題が出たとき、村橋先生は、
「いかにインターネット等のメディアが普及しても、絶対に建築や土木、都市が人間環境を構築する上でメインの要素で無くなる日は来ない」と明言されておられました。
この言葉は建設分野に携わるものであれば誰もが思い、感じるものでありますが、村橋正武という人間が実際に言語化し発すると、その重みはひとしおであり、過去に様々なプロジェクトに参画することで洗練されてきた、氏の強さを垣間見ることができたのではと思いました。
その後も、流動的に複数の議論が交わされました。
●メディアの存在・普及による「建築・都市・土木」のありようとは?
●新陳代謝とscrap and buildに端を発しての都市的空間操作・建築的空間把握について
●西洋人と日本人の価値観の相違点
●ソフトとハードの観点(西欧都市や内藤廣を例に)
●意図した都市形成とは?
●都市を設計する上での“らしさの創造”とは?
etc.
以上のような話をして、討論を終えました。
今回の企画を終えてのとりあえずの僕の感想は、
土木と建築において、その「普遍的」という観念の相違を大きく感じました。
(教授と学生、有実務経験者と非経験者の違いであったかもしれませんが…)
建築にまつわる作業や研究が、生活というわかりやすい対象に収束していくのに対して、土木は川や海や自然地形という広がりの中に拡散していくという印象があります。対象に向かっていくと、どんどん人間から離れていく宿命を負っている。
建築という分野が求心的な構造を持っているのに対して、土木は遠心的な構造を持っている。
これはつまり、建築が日々の生活を対象としているのに対し、土木はマクロスケールの計画や突然やってくる災害等の非日常的な世界と向き合っているということです。
この建築の求心的な力と土木の遠心的な力は、本来それぞれ引きあって、より良い環境を作り出す力とならねばならないはずなのですが、現実、世界はうまくいっていません。
人間という不可解な存在を相手にしている求心的な力も、森羅万象を相手にしている遠心的な力も、それぞれが孤立し、互いに異なる文化を育ててきました。これらをつなぎ合わせるのが都市といわれるものだと思うのですが、いまだにこの3つの分野を隔てる壁はまだまだ厚いのです。
このブログを見ていただいた方、また講演会当日参加していただいた方々には、このような(東京大学でさえも行われていない学内での他学科との議論の場)企画を通して、これらが相互に交流を持てば、建築はより実現的なスタンスを、都市はより幅広い視野を、土木はより想像力豊かなビジョンを、それぞれ獲得することができるのではないか。ということを、この文章を読む前より少しでも感じ、それに向けて何らかの行動をして頂けると幸いです。
このブログでは節々に僕の多少偏った主観を感じ取れられた方もいると思うので、以後、twitter上(#rxf)やブログでの積極的な異論・反論等の議論を期待しております。長々と書いてしまいすみませんでした。
最後に、忙しい中6月28日の討論会に来ていただいた村橋先生、皆さん、
本当にありがとうございました。
平郡竜志
この企画は、建築だけ、都市だけ、土木だけ、といった各専門分野の枠に収まることなく、分野横断的に議論をする機会がもっとあってもいいという趣旨のもとに発案されおり、氏は、「土木計画学」という分野を基盤とし、国土形成計画、社会インフラの整備戦略計画、都市計画方法論などを専門とされている方で、講演会1時間+討論会1時間という、内容の濃い時間でした。
第1部:村橋正武氏によるレクチャー
「我が国における都市計画の現状と今後の展望」
前半の講演会では、村橋さんの都市計画論や携わってこられたプロジェクトの事例を中心に、スライドを流す形式で行われました。
○都市づくりの視点と取り組み方
ここではコンパクトシティ論の展開と、ストック重視の都市計画の重要性そして、民主介在の必要性についてお話されました。
都市の整備・運営は長期にわたる造営行為であり、簡単に最適解を導き出すことはできるものではないし、唯一解があるわけでもない。しかし、より良質な都市・都市景観を生成するうえで、「持続可能性」というキーワードを外すことはできず、“長期にわたって既存ストックを有効に活用しつつ、都市活動を継続的に営むこと”がこれから人口減少を迎える日本都市における計画学には必要である。
また、それに呼応するように国の政策に転換が訪れている。「都市再生ビジョン」や「まちづくり三法」がそれである。
○事例研究
「汐溜」は今の、今までの日本における都市開発の一種の典型的な側面を見せている。所謂、島型である。このサイトは新橋操車場跡地の再開発として、多様な階層の人間が出入りするような都市になるよう計画している。新宿西口の理想主義的な計画に対して国鉄民営化と景気浮揚のプロジェクトという都市再生的視点が現代の東京を象徴する再開発である。J.Nouvel「電通本社」や、R.Rogersの「日本テレビタワー」が立ち並ぶエリアである。
80年代は、場所から導き出されるコンテクストということに関して、建築家も都市計画家も盛んに議論をしていた。しかし、実態はそちらのほうへ行かず、むしろ環境の中から領域を囲いとって、そこを孤立的に、重点的に投資して開発していく。そういう島を作るというやり方が大きな潮流になっている。
この汐溜の例において結果論ではあるが、海外建築家の果たす役割が、表層をデザインするというところに限定されている。オフィスというのはもともと皮の建築であるが、建築家の役割はその皮をデザインするだけになってきている。
大梅田(大阪北ヤード)では上記のような反省点をふまえ、建築美観誘導基準(スカイラインの統一、道路境界線からのセットバック等の規定)を設けることで、道路空間構成の快適化、国際的な中枢業務機能、学術・研究機能、商業機能、情報発信機能、居住機能等の複合市街地を形成することを目指すものとする。
このように社会政策的側面から成長政策的側面の比重を大きくしていくことで、交通拠点機能(ハブ機能)を強化し、東京VS 3大都市圏の構造から、今日のような東京VSそれ以外の構造となった関西没落の対抗策つまりは、地方の復権を試みているのである。
また、都市計画とは「本来そこに住まう人たちによって自発的に行われるべきである」ということを聴衆に伝えるため、先生が実際に携われた例として草津近郊の都市である大津市駅周辺の開発を提示されました。
大津市は全国的人口減少時代において、さらに10年以上人口増加がみられる非常に希有な都市である。また、京都に程近く阪神間に次ぐ魅力的な居住都市イメージがあり、線上型都市形態・湖畔に位置するという立地の良さがある。これらから未来への要素を汲み取ってみると、京都とのタッグマッチによる一体的活動の展望、良質な景観環境都市の生成、建物の高さに対する眺望の堅持が必要であることが分かる。
故・丹下健三氏による滋賀プリンスホテルはフランス、パリにあるラディソンホテルのような景観的存在感を示していることが分かる。
○課題と今後の展望
戦後の各都市における市街化は公共交通沿線に沿い発展を続け、その後、モータリゼーションの進展とともに低密度の市街地として都市が拡張を続けてきた。しかし今後は、少子超高齢社会に対応したコンパクトな集約型都市構造を目指すことが必要である。1つの提案として、駅周辺の拠点的市街地をイメージすると今後の展望を比較的容易に具現化することが可能である。ここでもやはり駅を中心としている。それは人間が生活する上で必要となる経済的基盤が比較的容易に生成することができるからである。
一言にコンパクト化と言っても、そんなに容易なものではない。都市には人が存在し、都市縮小には既存環境方の変遷に伴う“不便さ”や“私権制限”という乗り越えなければならない自明な壁が存在するからである。
兆しは見え始めている。環境問題に反応して立ち上がった市民が自らの街づくりに、環境という分野に限定されない、より広い視野をもって登場し始めた。上級官庁のほうばかりを向いて仕事をしてきた市街村や県庁などの役所に任せておいたのでは良いまちにできない、そういう自覚を持つ市民が立ち上がり始めたのだ。その形は地区のコミュニティ活動や特定のテーマのものに集まるNGO、NPOと様々であるが、街づくりに関して市民が自分たちの意思を表明し始めたのである。
これらの市民、つまり市民一般ではなく、と根気強く付き合い、合意を作り上げていくことが今後の風景づくりの一つの鍵を握ることになるだろう。なぜなら風景とは皆の合意のもとにしか成立しないものだからである。風景づくりとは個人の作品ではない。共同の作品でしかあり得ないからだ。このようなレベルでの話し合いが今後ますます推進されていくべきである。
以下に皆に送る言葉を添えて締めとする。
「不易流行」:(芭蕉の俳諧用語)
笛木はその基本である永遠性。流行はその時々の新風の体。ともに風雅のまことから出るものであるから、根元においては一であるということ。
ハーシェル(英国天文学者)言葉:
I wish to leave this world better than I was born。
~私は、この世を私が生まれてきた時よりも、より良くして去りたい~
第2部:討論会
討論会では主として都市・建築の向かうべき展望とそれに伴う自分たちの取るべきスタンスについて議論が進んで行きました。
ある学生からこんな質問が出ました。先生のレクチャーの中からは「ヒト」の存在が見えてこなかった。政策やプランの作成・適用方法をこと細かく説明はされていたけれど、実際に人がどのように思い、動き、佇むのか。それが見えてこなかった。その点に関してはどう思いますか?
これは、建築と土木における教育体系に起因する大きな違いの1つだと思います。
土木には国土・都市という広範囲での計画、空港や電車等の公共交通機関のインフラ整備、ネットワーク管理という仕事をメインとし、その役割を一端に担ってきたという背景があります。上記のような広範囲敷地条件下での人の往来や空間を設計する時、人はマスとして扱うほうが都合がよく、むしろ個々人の行動やそれに伴い発生するエネルギーはそのような大きな視点から見たとき、取るに足らない微小要素でしかないのです。
このような考え方は、公共事業が不可解な特徴を有しているせいだと思います。ダムにしろ橋にしろ、民意により発生したモノの必要性になぜか民意は賛同をしていない。そこで、それらを打開する為のツールとして、圧倒的説得力を有し、平等な共通理解と解釈が可能な「数字」を武器にしているのだと思います。そうすることにより、仕事人達は、自分たちの仕事に絶対的意義を持たせることが可能になると考えているのです。しかし最近では、この武器も諸刃の刃と化していっている潮流もありますが…。
ただ、建築学科の学生からすればこの考え方(数値による説得)は、理解はできても納得はできないコトだと思います。
なぜなら標準的な建築の設計手法とは、その敷地に与えられている拘束条件を多方面から細分化することで、一般の人が気づかないような微小要素でさえも汲み取り、哲学的に分析、消化することで、初めて自らの考える建築に投影を成せるというものであり、それらの与条件の内、“このコンテクストは他の要素と比較すると微小要素過ぎるから、取るに足らないコトだと考えてよい”という教育は行われていないのです。
「建てれば人が来るかもしれない」ということがある意味真理の一面であることを理解しつつも、そこに数的根拠を与えることをあえてせず、万人の知覚感性の琴線に訴えかけるような言語表現を用いること、またそれらを用いた建築ロジックの組み立てをアプローチとした「人が来るような建物を作る」ことに関して妄信的に美学を感じているのかもしれません。建築創生論の多次元化や用途システムを保持する空間構成への着眼、プレゼンテーションに用いる建築言語の巧みさ具合等がそれらを暗に意味していると言えるかもしれません。
話は進んでいきます。
これまでの戦後、高度経済成長期における人口増加社会において土木・建築は絶大な力をふるってきたが、これからの人口減少社会においてこの建設分野はいかなる途をたどるのか?例えばインターネット等に見られるようなメディア・ネット社会とどのように共存共栄していくのか?との議題が出たとき、村橋先生は、
「いかにインターネット等のメディアが普及しても、絶対に建築や土木、都市が人間環境を構築する上でメインの要素で無くなる日は来ない」と明言されておられました。
この言葉は建設分野に携わるものであれば誰もが思い、感じるものでありますが、村橋正武という人間が実際に言語化し発すると、その重みはひとしおであり、過去に様々なプロジェクトに参画することで洗練されてきた、氏の強さを垣間見ることができたのではと思いました。
その後も、流動的に複数の議論が交わされました。
●メディアの存在・普及による「建築・都市・土木」のありようとは?
●新陳代謝とscrap and buildに端を発しての都市的空間操作・建築的空間把握について
●西洋人と日本人の価値観の相違点
●ソフトとハードの観点(西欧都市や内藤廣を例に)
●意図した都市形成とは?
●都市を設計する上での“らしさの創造”とは?
etc.
以上のような話をして、討論を終えました。
今回の企画を終えてのとりあえずの僕の感想は、
土木と建築において、その「普遍的」という観念の相違を大きく感じました。
(教授と学生、有実務経験者と非経験者の違いであったかもしれませんが…)
建築にまつわる作業や研究が、生活というわかりやすい対象に収束していくのに対して、土木は川や海や自然地形という広がりの中に拡散していくという印象があります。対象に向かっていくと、どんどん人間から離れていく宿命を負っている。
建築という分野が求心的な構造を持っているのに対して、土木は遠心的な構造を持っている。
これはつまり、建築が日々の生活を対象としているのに対し、土木はマクロスケールの計画や突然やってくる災害等の非日常的な世界と向き合っているということです。
この建築の求心的な力と土木の遠心的な力は、本来それぞれ引きあって、より良い環境を作り出す力とならねばならないはずなのですが、現実、世界はうまくいっていません。
人間という不可解な存在を相手にしている求心的な力も、森羅万象を相手にしている遠心的な力も、それぞれが孤立し、互いに異なる文化を育ててきました。これらをつなぎ合わせるのが都市といわれるものだと思うのですが、いまだにこの3つの分野を隔てる壁はまだまだ厚いのです。
このブログを見ていただいた方、また講演会当日参加していただいた方々には、このような(東京大学でさえも行われていない学内での他学科との議論の場)企画を通して、これらが相互に交流を持てば、建築はより実現的なスタンスを、都市はより幅広い視野を、土木はより想像力豊かなビジョンを、それぞれ獲得することができるのではないか。ということを、この文章を読む前より少しでも感じ、それに向けて何らかの行動をして頂けると幸いです。
このブログでは節々に僕の多少偏った主観を感じ取れられた方もいると思うので、以後、twitter上(#rxf)やブログでの積極的な異論・反論等の議論を期待しております。長々と書いてしまいすみませんでした。
最後に、忙しい中6月28日の討論会に来ていただいた村橋先生、皆さん、
本当にありがとうございました。
平郡竜志
「civic designから都市・建築を考える」
記念すべき第5回イベントを告知します。
日時: 2010年6月28日
場所: 立命館大学BKCキャンパスウエストウィング 1F製図室
住所: 滋賀県草津市野路東1丁目1-1
参加クリエーター: 都市計画家 村橋正武
時間: 17時半 開場
18時 開始
18時10分 レクチャー開始(都市計画等について)
19時 レクチャー終了
10分 休憩
19時20分 共同討議
20時 共同討議終了
(懇親会予定)
今はまさに学融合の時代です。「モノをつくる」ことの本質が問われる時代です。
建築と土木は都市を作り、社会を作り、人を作ります。
元来土木と建築は切り離して考えることができる事象ではないはずなのに、
学びの場における両領域において、何故か積極的な関わりがなされていない。
「建築」を広げると言いつつ、コンペや建築家の講演会にしか参加しない建築学生。
「土木」を社会にと言いつつ、学会や実験等による数値にしか興味を示さない土木学生。
これらを擁する大学は、まさに現代社会の縮図そのものであり・・・
では今までの概念や価値観が崩壊しつつあるこの世の中でこの両領域はいかにしてあるべきか?
つまり、「世界」を考える上で
建築にしかできないこととは何か?
土木にしかできないこととは何か?
方法論はもちろん本質という名の固定観念を疑い、モノゴトの再定義・再認識を行う必要があると思います。
そこで、Ritsumeikan Design Forumでは、日本人として“サスティナビリティ”ではなく“不易流行”という言葉を信念に、多種多様なプロジェクトに携わった経歴を持ち、現在非常勤講師として当大学で教鞭をいただいている村橋正武さんにお声をかけ、今回御講演していただけることとなりました。
様々な角度から楽しめるレクチャーになるのではないかと、企画者側としても期待に胸を膨らませています。普段、建築家の講演にしか脚を運ばれない建築関係者や土木関係者も、是非、会場まで脚を運んでいただき、会場の熱気を楽しんでいただければと思います。

※ 申し訳ありませんが講演会当日が平日であり、その上最終講義が演習となっているので、約30分程の予定変更があるかもしれません。あらかじめご了承ください。
立命館大学BKCキャンパスアクセスMAP
http://www.ritsumei.jp/accessmap/accessmap_bkc_j.html
平郡竜志
日時: 2010年6月28日
場所: 立命館大学BKCキャンパスウエストウィング 1F製図室
住所: 滋賀県草津市野路東1丁目1-1
参加クリエーター: 都市計画家 村橋正武
時間: 17時半 開場
18時 開始
18時10分 レクチャー開始(都市計画等について)
19時 レクチャー終了
10分 休憩
19時20分 共同討議
20時 共同討議終了
(懇親会予定)
今はまさに学融合の時代です。「モノをつくる」ことの本質が問われる時代です。
建築と土木は都市を作り、社会を作り、人を作ります。
元来土木と建築は切り離して考えることができる事象ではないはずなのに、
学びの場における両領域において、何故か積極的な関わりがなされていない。
「建築」を広げると言いつつ、コンペや建築家の講演会にしか参加しない建築学生。
「土木」を社会にと言いつつ、学会や実験等による数値にしか興味を示さない土木学生。
これらを擁する大学は、まさに現代社会の縮図そのものであり・・・
では今までの概念や価値観が崩壊しつつあるこの世の中でこの両領域はいかにしてあるべきか?
つまり、「世界」を考える上で
建築にしかできないこととは何か?
土木にしかできないこととは何か?
方法論はもちろん本質という名の固定観念を疑い、モノゴトの再定義・再認識を行う必要があると思います。
そこで、Ritsumeikan Design Forumでは、日本人として“サスティナビリティ”ではなく“不易流行”という言葉を信念に、多種多様なプロジェクトに携わった経歴を持ち、現在非常勤講師として当大学で教鞭をいただいている村橋正武さんにお声をかけ、今回御講演していただけることとなりました。
様々な角度から楽しめるレクチャーになるのではないかと、企画者側としても期待に胸を膨らませています。普段、建築家の講演にしか脚を運ばれない建築関係者や土木関係者も、是非、会場まで脚を運んでいただき、会場の熱気を楽しんでいただければと思います。

※ 申し訳ありませんが講演会当日が平日であり、その上最終講義が演習となっているので、約30分程の予定変更があるかもしれません。あらかじめご了承ください。
立命館大学BKCキャンパスアクセスMAP
http://www.ritsumei.jp/accessmap/accessmap_bkc_j.html
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